阿川佐和子さん

  先日、友だちがお酒の席で興味深い話しをし始めました。阿川佐和子さんについてです。 阿川さんは9年半もの間、お母さんの介護を経験されていて、途中からお父さんの介護も加わり、そこにご自身の更年期も重なっていたという、とても大変な経験をされているわけですが、自分たちにとって何が興味深かったかというと、彼女が「サボっていた」と公言している部分にあります。彼女は、介護をしながらゴルフに行って、お母さんに「あなた疲れた顔してるわね。仕事が大変だったのね。」と言われていたけど、実はゴルフに行っていただけという、その後ろめたさをつくることで、少し相手に優しくなれたそうです。 また、ある時は、お父さんに一生懸命に持っていった食事を「不味い」と言われ、腹が立ったから、こっそりお父さんのお金で自分のブラジャーを3本買ってやりました(笑)とも話されたりしてて、なんて気持ち良いエピソードだろうと思ったわけです。 私たちの周りにある、"こうあるべき"や”正しくあらねばならない”って、もちろん周りから決められているような部分もあれば、実は自分たちの心の中で勝手に作り上げてしまっている部分も大いにあるわけで。しかも、その環境は境遇は変えにくいけれど、自身の考え方はまだ調整がしやすい。 しなやかに不真面目に。「堅すぎる木は折れる」と説いたのは老子だったでしょうか。 この夏も実家の仏壇にAPFRのお香を立て、日頃の愚行を先祖に窘めてもらおうと目論んでいるところです。

漁師だったおじいさんの話

 

いつもJILL PLATNERをつけてくれている友人が、とても興味深い話をきかせてくれたことがあります。それは、彼の漁師だったおじいちゃんの刺青の話です。仕事をしていて海で亡くなった場合、顔や身体の損傷が激しいと身元が分からなくなるため、自身の身元や、漁組合や地域によっての所属を示す目印としての役割があったそうです。

自分でも調べてみると、歴史的には、海洋民族だった古代日本人が漁をしながら刺青をしていた理由に「魔除け」の意味もあるらしく、危険を伴う仕事に携わる際の風習だったのかもしれません。JILL PLATNERはジュエリーなのですが、ファッション的というよりは、このおじいちゃんの刺青にどこか感覚が通ずるような気がします。ちなみに、その友人は「Rebel」という名前のブレスレットをつけてくれていて、そこもなんだか彼らしいとうか、妙に腑に落ちる部分です。

そして、次は先日ブレスレットをオーダーしてくださった男性のお客さんの話です。いつもご家族でお買物にきてくださる方で、今回は奥さまの付き添いだったのですが、ちょうど展示してあったJILL PLATNERに興味を持ってくださったのです。普段、全然アクセサリーはつけないし、あまり興味もなくてと仰っていて、でもふと手に取ってくださったのが「Ember」という作品。訳すと「残火」という意味があり、金属の造形も正にそれなのですが、「家に暖炉があるんですよ、これなら自分がつけても合うかもしれませんね」と、その意味も兼ねてオーダーをくださったのが印象的でした。

どちらのエピソードも、眼に見えない部分での精神的な呼応なのではないかなと思っていて、これは流行の上澄みを救ったような、表層的な表現のジュエリーでは成せない業なのだろうなと思います。完成までには、オーダーから数ヶ月お時間をいただくのですが、楽しみにお待ちいただけたら嬉しいです。