地球のなか ♨️

  大寒を過ぎた金沢はたくさん雪が降りました。まだしばらくは寒い日が続きそうです。今日は、最近すっかりハマっている温泉について書いてみたいと思います。時々、自分のアカウントに載せているからか、お店に来てくださる方からも「変わった温泉に行ってらっしゃいますよね?」と訊ねられる機会が増えてきました。今まで特に思い入れが無かったのですが、不思議なもので、今は温泉の事を考えない日は無いというくらい面白さを感じています。 きっかけは、旅行の道中で泊まった旅館の温泉。お湯の成分が積み重なり、もはや浴槽の素材部分(木製)さえ見えない程に、極圧の堆積を重ねていて、まるで何か大きな生き物の殻か骨の中にうずくまるような気持ちでお湯に浸かったのが始まりでした。その不思議さに興味が湧き、調べてみると、この山地に降った雨水が地下に染み込んだものに、なんと赤道の下から2億年以上もの長い年月をかけ、地球のプレートの動きに乗ってやってきた、石灰岩の成分が混ざり合っているというのです。その遥かな距離や時間を流れてきたお湯に自分が浸かっているのかと考えると、なんて感慨深い現象なのだろうと、心の中がざわざわとしはじめました。この日本には、数10年前の雨水が水源となっている温泉から、1200万年程前の海水が水源となって現在も湧き出し続けている温泉まであるというのですから、私たちの目に見えない地面の下で起きている出来事を想像すると、急にそれがとてつもなく魅力的に感じてきてしまったのです。 自宅に帰ってきてからも、近くでそのような現象を体験できないかと、あれこれ調べて行き始めました。ひとつは、大正時代につくられた旅館(旅館部分は現在は営業していない)の片隅で湧き続けている、洗い場の無い、源泉に湯船が水没してしまっている秘湯。ブルーシートの廊下を降りていき、扉を開けると、階段から既に水没しているわけですから、なんとも奇妙な、異世界のコンクリートダンジョンの中。普段の時間や世界と良い意味で隔離されてしまうような気持ち良さがあったのです。他にも、いつもは前を素通りしていた近所の温泉や、雪の水景を眺めれる山奥の場所、塩辛い朽葉色の鉄泉、廃業済みの温泉(門を叩いてしまった)と、家から1時間くらいの範囲の中でも、個性の強いユニークな温泉がいくつもあり、豊かさを感じずにはいられません。それと同時に、それぞれがいつま...

野生の思考 🪵

 

先日、新月の星空をみるため、能登へ向かいました。能登の夜は灯りが少なく、雲さえなければ星空が頭上に鮮明に広がります。崖の上で空を見上げ、その暗さに目が慣れてくると、金沢の街からは明るさに隠れて見えないような小さな星たちも見えてきて、みんなで喋らずに静かに空を見上げていました。そのとき、「ぼうっ」と耳のそばで風の音がしたのです。風の音なんていつも聴こえているはずなのに、いつもは聴こえてないものなんだな、意識が向いていないものなのだなと感じました。大昔、この崖の上にいた人は、私たちのように余暇としてではなく、何かから自分たちを守るように耳を澄ませていたかもしれません。

数日後、今度は富山で焚火をしました。炎の揺らぎを前にすると、それだけで不思議と無言が成立してしまうのが心地良く、ずっと眺めていられます。自分はすっかり火の見張番に徹してしまったのですが、みんながおにぎりや豚汁を作ってくれて、一緒に食べれたこともとても幸せに感じました。普段の生活では、なかなか火を囲んで集まるということは少なく、すっかり囲炉裏(いろり)が欲しくなりました。外食の場では体験したことがあるものの、日常的の中でそれで暖をとり、料理をし、それを囲んで会話をしたりすることができたらと考えると、なんだかとてもわくわくしてきます。

さて、今回のタイトル「野生の思考」は、文化人類学者 レヴィ=ストロースの著書から拝借したものです。彼は、西洋の理性的な思考方法が優れているという見方に反論し、原始的な社会における思考方式が、単に未発達なものではなく、むしろ非常に複雑で深遠な論理的構造をもっていると唱えています。

見上げた星、聴こえた風の音、焚火の揺らぎ、次は囲炉裏を前に、この「野生の思考」について改めて考えてみるのも悪くなさそうです。