野生の思考
先日、新月の星空をみるため、能登へ向かいました。能登の夜は灯りが少なく、雲さえなければ星空が頭上に鮮明に広がります。崖の上で空を見上げ、その暗さに目が慣れてくると、金沢の街からは明るさに隠れて見えないような小さな星たちも見えてきて、みんなで喋らずに静かに空を見上げていました。そのとき、「ぼうっ」と耳のそばで風の音がしたのです。風の音なんていつも聴こえているはずなのに、いつもは聴こえてないものなんだな、意識が向いていないものなのだなと感じました。大昔、この崖の上にいた人は、私たちのように余暇としてではなく、何かから自分たちを守るように耳を澄ませていたかもしれません。
数日後、今度は富山で焚火をしました。炎の揺らぎを前にすると、それだけで不思議と無言が成立してしまうのが心地良く、ずっと眺めていられます。自分はすっかり火の見張番に徹してしまったのですが、みんながおにぎりや豚汁を作ってくれて、一緒に食べれたこともとても幸せに感じました。普段の生活では、なかなか火を囲んで集まるということは少なく、すっかり囲炉裏(いろり)が欲しくなりました。外食の場では体験したことがあるものの、日常的の中でそれで暖をとり、料理をし、それを囲んで会話をしたりすることができたらと考えると、なんだかとてもわくわくしてきます。
さて、今回のタイトル「野生の思考」は、文化人類学者 レヴィ=ストロースの著書から拝借したものです。彼は、西洋の理性的な思考方法が優れているという見方に反論し、原始的な社会における思考方式が、単に未発達なものではなく、むしろ非常に複雑で深遠な論理的構造をもっていると唱えています。
見上げた星、聴こえた風の音、焚火の揺らぎ、次は囲炉裏を前に、この「野生の思考」について改めて考えてみるのも悪くなさそうです。