阿川佐和子さん

  先日、友だちがお酒の席で興味深い話しをし始めました。阿川佐和子さんについてです。 阿川さんは9年半もの間、お母さんの介護を経験されていて、途中からお父さんの介護も加わり、そこにご自身の更年期も重なっていたという、とても大変な経験をされているわけですが、自分たちにとって何が興味深かったかというと、彼女が「サボっていた」と公言している部分にあります。彼女は、介護をしながらゴルフに行って、お母さんに「あなた疲れた顔してるわね。仕事が大変だったのね。」と言われていたけど、実はゴルフに行っていただけという、その後ろめたさをつくることで、少し相手に優しくなれたそうです。 また、ある時は、お父さんに一生懸命に持っていった食事を「不味い」と言われ、腹が立ったから、こっそりお父さんのお金で自分のブラジャーを3本買ってやりました(笑)とも話されたりしてて、なんて気持ち良いエピソードだろうと思ったわけです。 私たちの周りにある、"こうあるべき"や”正しくあらねばならない”って、もちろん周りから決められているような部分もあれば、実は自分たちの心の中で勝手に作り上げてしまっている部分も大いにあるわけで。しかも、その環境は境遇は変えにくいけれど、自身の考え方はまだ調整がしやすい。 しなやかに不真面目に。「堅すぎる木は折れる」と説いたのは老子だったでしょうか。 この夏も実家の仏壇にAPFRのお香を立て、日頃の愚行を先祖に窘めてもらおうと目論んでいるところです。

Something gained,Something lost



ここ数年やめていた手帳を今年は復活させることにしました。子どもが生まれてからの生活スタイルにはスマホでスケジュール管理するのが合っていたからそうしていたのだけれど、それが少し味気なくなってしまったから。

以前手帳として使っていたポスタルコのスナップパッドも新調して一緒に持ち歩く鉛筆も買いました。ボールペンもシャーペンも使ってみたけど、手帳と一緒に持ち歩く筆記具で自分に一番フィットするのはファーバーカステルのパーフェクトペンシルでした。シャープナー内蔵のキャップに消しゴム付きの鉛筆。必要な機能がもっとも簡潔に美しくまとまっている。機能だけで言うと消せるボールペンでもいいんだけど、キャップを被った鉛筆は愛嬌があってかわいくて、断然気持ちが良いです。

⁡そして書くという行為が私に時間をくれています。

⁡例えば新幹線の中で、娘の習い事を待つ間のコーヒー屋で、ひとりで仕事する夜の静かなお店の中で、バタバタと過ぎていく毎日の中でちょっとだけ立ち止まれる時間。大切な人の誕生日もスマホで自動的に通知されるより手帳に自分で書き込む方がなんだかしあわせだし、頭の中が整理されて、心は休まっていくように感じます。

身の回りの、合理的であることの影に隠れて喪失してしまったものをもう一度見直したいなぁと思うこの頃です。