JILL PLATNER

  年齢を重ねてくると、アクセサリーをつける意味も段々と変わってきました。それは誰かにみてもらうような、自分を飾るような感覚とは真逆、もっと内省的な感覚で、何かの印やお守りのようなものに近いのかもしれません。私たちがつけているJILL PLATNER(ジル・プラットナー)のジュエリーもそのひとつです。自然界の形態やテクスチャーを源に生み出される有機的なフォルムは、とてもオーガニックなインスピレーションから生まれたもの。ただ、それが単なる自然回帰に帰結しない、極めて洗練された造形となっているのは、制作の場を東海岸とし、ジュエリーだけでなく大型の金属彫刻作品も手掛けている彼女のコンテンポラリーなセンスではないでしょうか。 そして、私たちはそれが20世紀の彫刻家たちとも通ずるものがあるようにも感じています。例えば、イサム・ノグチが石や金属で追求した、動的な静寂。また、自身の作品を「抽象ではなく 本質を表現した具象」と語ったコンスタンティン・ブランクーシなどもそれに当てはまるように感じています。もちろん、今健在なのはジル・プラットナーだけですが(笑)。彼女の作品を手にとられる際は、ぜひその作品名も私たちに訊ねてみてください。"Birdbone" "Seaform" "Gloriosa" "Armadillo"など、妙に腑に落ちる歪みや曲線が新たにみえてくるかもしれません。 また、実際のジュエリーの一部分についても触れておきたいと思います。よく訊かれるのが、ブレスレットやネックレスに用いられている紐について。これはTENARAという特殊繊維を編み込んだもの。水を吸収せず、太陽光に長時間晒されても、色褪せどころか強度も劣化しないという、非常に耐候性の高いものです。これは、自身がサーファーであるライフスタイルを起点とした選択と思うのですが、やはり何年も着けている私たちのブレスレットも、TENARAに劣化の面影はなく、普段の生活の中でもこの強度に信頼をおいています。金属部分を丁寧に手入れするもよし、経年変化に任せるもよし、つける人の自由が良いと思います。 誰もが知るハイブランドでもなく、かつてのシーンを席巻したネイティヴのそれでもなく、現代の私たちが、これから歳月を重ねながら身につけていきたいものは何な...

阿修羅のごとく


昔、妻が向田邦子のエッセイの感想を話していたことがありました。
向田邦子といえば、小林亜星が主演していた『寺内貫太郎一家』というドラマが好きで、よくDVDを観ていたので、身近に出てきた向田作品の話題が興味深かったことを憶えています。

彼女が話していたのは、『箸置』という作品について。
作中、著者の友人が意図的に自分の仕事を減らし始めた際、理由を尋ねたところ、「箸置きも置かず、せかせかと食事をするのが嫌になったのよ」という返事が返ってきたシーン。
ちょうど30代の自分たちに重なった部分があったのでしょうか。
今でもときどき思い出す、記憶の目次のような一節です。

そしてここ数日、Netflixで観ている『阿修羅のごとく』。
これも向田邦子の脚本で、最近改めて再ドラマ化されたもの。
まだ途中なのですが、やっぱり味わい深いですね。

『寺内貫太郎一家』も『阿修羅のごとく』も、どこにでもありそうな日常が舞台。
とても狭い半径の話なのに、奥ゆかしい深さがあって、人間のどうしようもない部分と、けれどもその憎めない愛らしさが映し出されています。

いちいち説明や答えが準備されているわけではないので、明暗のわかりやすいドラマではないのですが、だからこそ隅々に散りばめられている余韻が美しいのかなと思います。

宮沢りえ、尾野真千子、蒼井優、広瀬すずの四姉妹役はもちろん、本木雅弘、國村隼といった男性陣の脆弱な演技も良い。

続きを観るのが楽しみです。